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私が目指すところ
 
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     皆さんこんにちは、コリアンダーの家の馬場でございます、お招きいただいて大変ありがとうございます。
 ふだんは農作業で草刈や陶芸で植木鉢などを作ってばかりいるものですから、こうして呼んでいただけるのは身に余る光栄で誠にありがたいのは確かなのですが、慣れない講演ということで2つばかり気がかりなことがあります。
 ひとつは、今日は施設の親御さんが主で、かなり人生の先輩の方が多いとお聞きしていますので、私のような若輩者が「親の立場」で何か話をしろといわれましても、今更何をとやや途方にくれたわけでございますが、恥をかくのを覚悟でしゃべらせてもらわなければなりません。
 何よりH会様のようなこんな大きな団体に比べ、吹けば飛ぶように小さな組織の人間である、私が今更何をお話ししても通って来た道だといわれるでしょう、 いささか、場違いかなと思ってみたりしているわけです。
 それから、今ひとつは福祉の仕事をするようになってから感受性が強くなったのか、最近、私は妙に涙もろくなってしまいまして、人前で話をするのはなるべく避けようと思っているのですが、今日も最後まで上手く話せるかな、大丈夫かなと思っていて、ひょっとしたら、45歳になりましたので男の更年期かもしれません。
 私は「40歳になったら、地元に帰って何か事業をしたい。」と大学を卒業する頃から思っていたので、就職試験のとき、田舎者の私はどこの会社に面接に行っても社長面接までには、聞かれると必ず「40歳になったら、地元に帰って何か事業をしたい。」と応えていました。
一流企業の面接官はそういうところはしっかりしていますから、私を雇ってくれるところはありませんでした。 最近J銀行の熊本支店長になった私の友人が永年人事部にいましたのでこの話をしてみたら、そんなことを言ったら企業としては絶対取れんやろうなと笑われてしまいました。
それで、地元の小さな企業に入社して、ひとつの会社に17年間勤め、営業や経理総務などいろいろな部署を回り、結婚式場のフロントマンから子会社の外車ディーラーの店長やクレジット会社の事務局長などを経験してきました。
その会社では毎年人事考課の材料として、会社からアンケートのようなものを提出させられましたが、私は、28歳のときはじめて、会社から将来の希望を聞いてこられたので「40歳になったら、地元に帰って何か事業をしたい。」とやはり書きました。
そして、障害者のノーマライゼーションを考えて、というよりも、自分の子どもに親が亡くなった後も普通の生活ができるようにしようと思って、40歳になった、5年前からこの仕事を始めました。
まさか福祉の仕事をするとは思ってもいなかったのですが、必要に迫られたのと、もともと若い頃から考えていたことが上手く一致して決心したということです。
 転勤で群馬に5年半いたこともありまして、2人の娘は前橋で生まれました。
 上の子が2,3歳のころ結婚式場のオープンで、副支配人として正月から半年間、1日も休みがなく毎日、朝8時から夜11時12時まで働いた時期がありましたが、夜、この娘がなかなか寝てくれずに困ったことがありました。
 何の曲だったかはもう忘れましたが、ある気に入った曲をかけないと寝ないで、その曲が終ると泣き出すものですから、夫婦で交代交替テープを巻き戻してはかけかけするしかないのです。
 たまりかねて、ある日私はエンドレステープに録音して、それをかけっぱなしにしてようやく、ぐっすり眠ることが出来ました。
   
 
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