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私が目指すところ
 
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     高速道路のサービスエリアの建物や保健所のような、大きな中が暗がりになっているような建物に入ろうとすると必ず泣き出すとか、ブランコをいくらゆすっても平気で視線が合わない。
 下の子が生まれた頃、3歳健診でちょっと普通と違うということが分かり、このままでは子育ても容易じゃないなと判断して、はじめ3年の約束で転勤していたのだからもうそろそろ返してくださいと会社に頼んで長崎に帰ってきました。
 男は会社に行っている間は子育ての大変さから逃れることが出来ますが、お母さんはそういう訳には行きませんよね。
 うちの家内には大変な苦労をかけたと思っています。
 なかなか面と向かってはいえないのですが、今でもたまに失禁したりしますが、毎日毎日、洗濯と壊したものの片付けの連続でまさに戦争のようなものだったろうと思います。
 小学校に入るとき診断で自閉傾向があるといわれ、低学年のときお医者さんからはっきり自閉症で知的障害がかなりありますということを知らされました。
 小学校2年までは町内の小さな分校で家族的に面倒を見てくれたので、この子にとっては理想的な環境でしたが、3年生からは4KM離れた本校で最近では珍しいマンモス校にバス通学でしたから、今にして思えば無理なことをしたと思います。
 それは、それは問題行動の山でしたが、 まず、教室にいない。
近所に遊びに来ていたお友達に会えると思ったのか、隣の小学校に勝手に行って連れ戻されたこともありました。
傘でバスの中や学校の廊下でお友達の頭をたたいたり、授業中に前に座っているお友達を手でたたくといった具合で私たちもしょっちゅう謝りに行っていましたが、母親に言わせれば、「あなたが謝りに行ったのは、私が行く10回に一回くらいやかね。」となるのです。
私にしてみれば、「母親ですまないようなひどいときは必ず出て行ったのに」となるのです。
それから、学校の避難訓練のとき教えてもらった消火器の使い方は良く覚えて、以来ぶちまけた消火器の数は50本は越していると思います。
障害者向けの傷害保険会社サンには大変お世話になりました。
また、自転車に乗れるようになったらどこまでも出かけていって、一度は素っ裸で海岸にいたといって警察に保護されていました。
ピアノやテレビに水をかけるのもずいぶん続いて、困らせられましたが、これの始まりは、おじいちゃんが玄関で飼っていた金魚の水槽に、私がこの子が遠くに出かけないように良かれと思って飼っていたウサギを捕まえて水に放り込んだときだったかなと思います。
ガラスのガシャッと割れる音にも快感を感じたのか、隣の家のドアや水槽、うちのお風呂のすりガラス、蛍光灯スタンド、高価な飾り時計などなど壊した数は知れません。
2歳下の娘が小学校1年生くらいのときから、妹は何もしていないのにガラスの大きい灰皿で、後ろから突然、頭を力いっぱいにたたいて数針縫うケガをさせたり、したことが1度ならずあります。
兄弟の関係も難しいですよね。
   
 
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