トップへ戻る

私が目指すところ
 
9/9   TOP ←前へ
 
     私たちのように、生まれ育った地域で、小さくても確実に障害を持つ人達の支えになる社会資源を作ることが今必要なことのような気がします。
大きな施設を作る必要もないし、偉い学者先生を呼ぶ必要もない、ただ本人の話を真摯に受け止めて、私が考えているようなことを実現しようとする人を作ることが一番大事なことだと、たったここ何年かのうちに確信するようになりました。
そのために親の知恵を出し合って皆さんと協力していければなおよいと思っています。
お手元にお配りしている、記事の最後にノーマライゼーションの具体化が必要と書いてありますが、まさにこれを私たちは長崎市内でしようとしています。
いろいろな理論や考え方があるのは承知していますが、親はその福祉に関する選択肢の中で、自分で選んで福祉の実践をやることがこれからの福祉ではないでしょうか。
行政や社会福祉法人が福祉サービスを提供してくれるから、それを選んで使えばよいと思っていましたが、支援費制度になっても実態はなんら変わっていないのではありませんか。
親としては、実態を変える努力をしなければならないと思っています。
もし、長崎においでの際はコリアンダーの家へどうぞお寄りください。
その名の通り、うちのハーブ畑には今コリアンダーというせり科のハーブが茂っています。
コリアンダーは茎や葉はとても強いくさいにおいがするのですが、かれて種になると、潰して匂いをかいで見ると山椒みたいないいにおいがします。
私はそれが好きで、利用者の一人が建物の名前を何にしようかといったときに「コリアンダーの家がいい」といったのをきいて、「この子たちの努力も結実してコリアンダーのようにいいにおいを社会に届けられるようになればよい」と思ってこの名前に決めました。
もし、現川まで来れないときは浜の町アーケードの昔の「永尾の靴本店跡」に年中無休で花屋さんがありまして、その奥にコリアンダーの家のコーナーがありますのでいってみてください。
皆が作ったハーブのお塩や、入浴剤、ハーブティー、ポプリなどや手作りの花瓶や植木鉢やいろいろな陶器とせいたかあわだちそうという雑草を燃やして灰にして作ったオリジナルの釉薬で焼いた食器類などいろいろおいてあります。
金土日にはうちのパート職員が入っていますのでよろしくお願いします。
 それから、今お手元にある絵葉書は去年うちの親の会で資金集めのため作ってもらったハガキなのですが、そこにコリアンダーの家のホームページのアドレスが書いてありますので興味のある方は覗いてみてください。
 写真は私が撮ったわけではなくて、知人の紹介で国見町のアマチュア写真家の石垣保治さんを紹介してもらい、著作権使用料をほんの少し払って作らせて頂きました。
 ふだんは電気工事屋サンなのですが、カワセミの生態に詳しくて話を聞いているうちに「高齢者も障害者もカワセミも本当は地域で普通に暮らしたいんだよ」 というメッセージがイメージとしてわいてきたものですから、早速、親の会に頼んで絵葉書にしてみました。
カワセミはこの辺にもいると思いますが、ご覧のとおり南方系の鳥のように鮮やかな青い鳥なのですが、渡りをせずに1年中おなじ川に暮らしていて小魚をとっています。
英語でkingfisherといわれるくらい魚を取るのがじょうずなんですね。
全部で8種類あって、1枚80円、8枚一組500円で浜の町でも販売していますのでどうぞお買い求めください。
この写真をお手本に、素焼きの土鈴にカワセミの絵をかいて商品化しようともしています。
土鈴というのは土の鈴ですね振るとカタコトと音がするアレですね。
何故そうしようとしているかというと、いろいろな事情でなかなかうちまで来れない人達になにか家で出来ることはないか、と考えたらこれを思いつたのです。
1つ2つ作品が出来たので1つ200円で試しに浜の町のお店においてみたらその日に売れてしまいました。
本人もその気になって、昨日は絵をつけていない土鈴を取りにうちへやってきましたから、そのうち通って来れるようになるでしょう。
最後は宣伝になりましたが、これで私の講演を終りたいと思います。
長時間ご静聴ありがとうございました。
 PS、文中でお手元に配布しているとある記事は次のとおりです。
 施設長講習の障害者福祉論のテキストより
(3)ボルフェンスベルガー(Wolfensberger,W)による
アメリカ型ノーマライゼーション
すでに脱施設政策を進めていたアメリカでは、北欧の初期概念としてのノーマライゼーションをそのまま受け入れることは困難であった。こうした背景から、アメリカにおけるノーマライゼーションは、ボルフェンスベルガー自身がいうように再構成された概念であった。その概念とは、「出来る限り文化的に通常の人間行動と特徴を確立ないし維持するために、出来る限り文化的に通常である諸手段を利用すること」である。彼のノーマライゼーションの特徴といえば、文化特定的であることと、従来型施設を容認しない統合理論であることであろう。
アメリカに渡ってからのノーマライゼーションは、初期北欧型のそれとは異なり、施設を否定的にとらえる思想に大きく発展した。やがて、これは北欧諸国にも逆輸入され、今日ノーマライゼーションといえば施設否定の思想であるように理解されている。
果たして、そうであるべきか否か、これは今後の動向にゆだねられる問題でもある。なぜならば、わが国の場合、誰もがノーマライゼーションを歓迎していながら、実は成人施設を中心として、なお新増設が続いているからである。わが国の場合、障害者福祉の歴史は欧米に比べて大きな相違があり、さらに、古来からの美徳とさえ言われてきた家族扶養の伝統は今日形骸化しており、今後は社会的扶養システムの確立が求められるものの、その目途は立っていない。一方、施設を否定的にとらえた欧米諸国においては、従来の施設に代えて、地域に数多くの居住型施設を生み出したが、わが国の場合、知的障害者に限っても、通勤寮・福祉ホーム・グループホームをあわせて1万人分程度しか整備されていない。
私たちは、ノーマライゼーションの原理を確かめながら、現実の福祉実践のなかで、その具体化を図る必要があると思われる。
   
 
    TOP ←前へ