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私の仕事は障害のある人とともに実際に地域にあって、いろいろなことを経験しそれをともに乗り越えて、住みやすい環境を作ることだと思っていますが、コリアンダーの家で起こることは、考えてみれば、一般社会で起こることと変わらないのです。
自由を手に入れるためには、皆と仲良くするということを自ら実践しなければならないわけです。
それができなかったから、イラクや北朝鮮では自由がなかったのでしょう。
国も障害者もこの点は一緒ですよね。
しかし、我が子のことですが、そのことを当の本人に分からせることは非常に難しい、国際社会がイラクに分からせることができなかったように。
しかし、武力に訴えてはいけませんよね、そこまで放っておいてはいけないという意味ですが、そのためには毎日の予防的な、教育が大切です。
うちでは毎朝10分程度本の読みあわせをやっています。
最初のうちは職員が読んでいたのですが、今頃は本人達が進んで読むようになって来ました。
内容は、いろいろですが、たとえば、平戸の昔話の絵本とか、育成会の編集した法律の本とか、最近はサラ金とか、レンタルビデオとかだったかな。
聞いている子もいれば、わざとCDを聞いている子もいますし、本を読めない子もいれば、読みたくなくて読まない子もいます。
でも決して強制ではなくて、自然な形でやっていると、だんだんみんなの注意が向いてきて、それが主流になってきて、聞いていないそぶりをしているだけでちゃんと聞いているといった具合になってきました。
これまで話してくると、うちに通っている子はいわゆるよく出来る子ばかりのようですがそうではありません。
重度の知的障害の子も3人います。
作業所のときは職員が少なく、わたしも福祉分野の経験がなかったので比較的障害の程度の軽い子を受け入れていましたが、小規模通所授産施設になってからは、若い常勤の女性職員も入りましたし、私も小規模通所授産施設に資格としては必要なかったのですが、普通の授産施設等の施設長講習を受け16冊、4000ページの教科書を法人認可の準備作業と同時に読み資格も取ったので多少心に余裕ができて、法人化してから受け入れました。
そして、重度の人が入ってからは、かえってみんなの意識が変わってよかったと思いますし、重度の人本人もそのご家族もとても喜んでおられます。
うちではハーブをたくさん植えていろいろな製品を作っているのですが、バラのポプリは長崎市のあぐりの丘のバラを摘ませてもらって作っています。
うちでは毎朝だいたい、「今日はこんな作業がある」ということを示して、本人達に選んでもらっていますが、ある日、重度の知的障害のため言葉がなく、運動能力や作業能力が低い女の子が自分もあぐりの丘に行きたいというので、一緒に連れて行って、私と一緒にバラ摘みをしていたところ、意外な効果が現れました。
いつもサボってばかりいて、ろくにバラを摘まない子がその日は一生懸命バラを摘んでいるのです。
聞かなくてもわかりました。
その、お母さんが諫早養護学校時代から何も出来ない何も出来ないといって、学校でも、家でもそれこそ何もさせないで、何かしたらだめ、だめといってばかりいた子が一生懸命やっているその姿を、サボってばかりいる本当は出来る子が見ていて、「自分もサボっていては恥ずかしい」と思って一生懸命やるようになったのです。
あとで、みんなのまえで私がそのことをいったら、サボっていたその子が「あれを見たらせんばいかん」と思ったと大きい声で言いました。
大きい声でそういったのは、さきほどから出てくる芸術家タイプの子ですが、そのときは心からはっきりそういったことをほめてやりました。
バラを摘んだことでなく、素直な気持ちで話したことをほめてやりました。
私たちの最終目標は地域社会で普通の生活をすることですから、重度の人を拒む理由はありません。
必要なら解決方法を考えるだけです。
ただし、解決方法がまだ見つからないなら時間はいるでしょう。
そもそも、法律の上では本来建ててはいけない建物を、市街化調整区域に個人の資格で福祉施設を結果的に建てられたわけで、それから、法律も、役所の考え方も変わって、地域福祉に理解が進み法人化もでき、施設も少し充実してきました。
世の中がどんなに変わろうと制度がどうなろうと、びくともしない考え方があれば目標は達成されるに違いありません。
人も物も金もそこに集まる人たちの考えに集まるということをこの5年間に学んだような気がします。
そして出来るだけ、そのノウハウを私より一世代下の人達に引き継ぎ、私の娘達のような地域で普通に暮らしたいと思っている知的障害のある人たちを支えていって欲しいと思っています。
最初にやる人は結構苦労するものですが、次にやる人は10分の1も苦労しなくていいでしょう、次の人はよりよい方法をその分考えていけばいいわけですから、大事なのは私のような考えの人を回りに作ることだと思っているわけです。
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